プライベートが生み出す退屈

今こうやってブログを書いていますが、全てはプライベートを削り書いています。有限な時間をブログに費やす意義として何か大義名分があるべきだと個人的に思うのです。そんなに、大したもんでもないんですが。皮肉なもので良きものではなく、悪きものもある意味ストレス解消として意義あるものに気づいたら成っています。誰に向けた話でもないんです。ただ、誰かに読んでもらえたら、知らない人に少しでもみてもらえたら救われるような気がします。退屈な文章だとは思いますが、読者に感謝の意を表します。

日曜日

日曜日は憂鬱。

 

恐らくだいたいの国民が抱いている感情だと思う。これを打破することはきっと無理だ

 

プライベートがゆっくり失われて

月火水木と過ぎてゆく

 

金曜日にまたプライベートが解き放たれて、土曜日ピークとなる。

 

そして、日曜日

明日からの現実に少しずつ蝕まれて、気づいたら9時になる

 

日曜は厄介だ

とても厄介

 

休みなのに休めない

 

私の日曜は今日も終わろうとする

花束みたいな恋をした

感想を共有する人がいない。

そうだ。レビューを書こう。

 

 

「花束みたいな恋をした」を見た。

私には一つ下の恋人がいました。学生の頃からの付き合いの為、社会人と学生という関係です。現実を見始めた私と、非現実を楽しむ恋人です。この話は2人のために就職をした現実と向き合う麦とイベント会社に転職をした理想を夢見る絹です。被る。被り過ぎる。学生からの恋人がいる人には絶対刺さる映画です。恋人と夫婦の違い、本当にこの人と共に生きていけるるのか、学生から社会人になる心理変化を描いています。恋人がいるひとではなく、1人の人に見てほしい。特に学生からの恋人と別れた事のある人に見て頂きたい作品です。

 

この映画面白い所は共感、同意です。いや、そんなに意見合わへんやろ。とツッコミたくなるほど冒頭、麦と絹は互いの趣味思考が重なります。その趣味思考が粋なのです。時代背景が1996年生まれの私にドンピシャ。天竺鼠のコンサートに始まり、宝石の国、グリーンのキセキ、キノコ帝国、スイッチのゼルダ、他文庫や価値観など少しコアな趣味思考を持った2人の共感はまさに私をも共感させました。そんなに意見合わへんやろ。とならないのはこの時代背景がドンピシャでかつ、しつこ過ぎないのが上手いと思いました。

 

坂本裕二さん、流石だなと終始感じておりました。

 

最後にバットエンドのように思いきや、過去の恋愛は消してネガティヴではなく、今の恋愛観の土台になっている。けして、別れは辛いものではありますが、決して人生の中で別れは総じてはそんな悪いものでも無い。寧ろあるべきもの、そのひとの生き様のように感じます。開き直ってコミュニケーションをとる麦と絹はお互いの背中を押し合ってあるようで、こんな別れ方したいなと思わされるようなハッピーエンドのような気がしました。別れ=ネガティヴでは無いと思うのです。私の背中も押してくれたような気がします。

 

1人で見ましたが、左右の男女2人組は気まずかったのでは無いでしょうか。私は独り身1人で見ていたので、楽しめましたが、一緒に観にいく人は選ばないといけないかもしれません。

 

個人的な総評

私にとってタイムリーなラブストーリーでした。

白とお湯

湯船に、そして囲まれた白い壁

何も無い。

聖域のように感じるこの空間に携帯という雑念を持ち込む事で、カオスと成る。

 

私は聖域の本質を捉えられずにいる。

携帯はどこにでも持ち込めてしまう。

 

利便性は私を殺す。

知識を殺す。

知恵を殺す。

発想を殺す。

 

ガラケーまで退化させるべきだと思う。

 

強制的にやらなければ、私は携帯を触り続ける。

 

皮肉なもんだ。

 

湯船に浸かりながら思うのです。

 

本日も休日15時の湯船は至高です。

日々の募り。

淡々と過ぎてゆく、毎日です。

 

私の人生が終わりを迎えた時、私の何かをこの世へ残せたのなら、少しは報われると思いここに書き溜めようと思ったのです。

 

ネガティヴが8を占める人生の中で、どこまでポジティブの2を大きく、感じることができるか。これが私の人生の欠陥であり問題であり、希望だと思います。ベースが2だからこそ見えるものもあると信じたいのです。

 

私は話すこと、書くことが苦手です。さらに、私は本番に弱いのです。150%を出そうと思い、実は50%しか出せていない。今ここに溜めているものも私の言葉が想いを超えることはきっとないのです。

 

全てが唐突ですが、幼少期からあまり人外関係が上手くいったことがない、そう最近思います。比べることは罪だと思うんです。何も生まれません。でも、比べることでしか自身の存在価値を見出すことができなかった。ある日から、はなから私自身が下手にいけば丸くなる。そう気付いた時に私は私を捨てていました。反抗期も少なかったように思えます。

 

今社会人3年めになり、やっと私が私を見つけられる兆しを感じています。その為の転職も考えています。心ではなく、身を削ることで心も余裕がなくなる。1番上手くには、私という人格の確立とそれを表現することです。私は両者とも苦手分野です。逃れない立場により少しずつ、更生してきました。自発的に成れてきたと私が思うのです。成長です。

 

私はこれからの1日1日に希望の光を感じています。スタートが2の私には怖いものはないのです。仕事、転職、恋人、結婚、子供、死、食べる、遊ぶ、笑顔、泣く、悲しむ、辛い、志。80まで生きるのなら、まだ1/4若い。若過ぎる。よく出来てはいないけど、人生はどれだけ私の基準で楽しめたか。感情を感じることができなかったのに、少しずつ感じることができるようになってきた。

 

まだ、これから。諦めるな私。